醜い

どうしても、どうしても眠れなくて、
もう常習になっているオーバードーズアームカット
自傷セット」の入っているポーチに軽率に手を伸ばすほどには、今のわたしには余裕がなかった。

普通に生きたい。
自傷行為なんてしないで。
自分のことを肯定できて、
自分のことを愛することができて。

そんな人になりたかった。

一生無理なのかな。
一生、このままなのかな。

拒食症だったときのことを思い出す。
145cm、23kg。
きっと拒食症患者のなかでは、まだ体重は重い方。
でも、見た目はガリガリ
異常かもしれない、けど。
わたしはそんな自分がすきだった。
細ければ自分でいられた。
なのに。
今は標準体重より増えている。

醜い身体。醜い容姿。
どうにもできなくて、鏡を前に泣いた。

いつか

久しぶりにブログを書く気になって、こうしてパソコンに向かっている。

 

わたしはわたしのことが嫌いだけれど、そんなわたしを肯定してほしい、愛してほしいと思うのは傲慢なことだよな、とも思う。

 

米津玄師さんのWOODEN DOLLという曲のなかに「自分嫌いのあなたのことを愛する僕も嫌いなの?」というフレーズがあるけれど、その言葉を聴いてなにも言えなくなった。

 

いつか病気だのコンプレックスだの、自分の嫌いなところも含めてまるごと自分がすきって笑えたら、これ以上の幸せはないな、と思う。

 

 

4月の復学以降がむしゃらに大学生をやってきて、ようやく1年間のすべてが終わり春休みを迎えた。

五月雨登校という言葉がぴったりなほどに、行けたり行けなかったりした1年間。

授業中にパニック発作を起こして途中退室したり、学校にたどりついたのに教室に入れなくそのまま引き返したり。決して病気がよくなったとは言えなかった。

それでも新しくできた友達や先生の力を借りてなんとか通った。

 

実を言うとこの3月末で退学するつもりだった。

大学に行けない自分を責めて鬱が悪化したし、腕を切ることも過剰服薬することもやめられなかったから。

 

それでも、もう1年。頑張ろう、と思ったのは。

大学に通う以外にわたしに残された道はないなと感じているから。

前向きな気持ちというよりは恐怖によって駆り立てられているような気もする。

 

でも、いつか。

苦しかった高校生活を肯定できたように、いまを笑って振り返ることが出来たなら、そのときはわたしの大学生活やこの苦しさは無駄じゃなくなるな、と思う。

 

桜の季節が待ち遠しい2月はじめ、深夜。

最近

なんだか久々にこのブログを開いた気がする。

現在のわたしは。

一言でいうと、あの頃と何も変わっていない、と思う。

あの頃というのは、私が生きるか死ぬかの瀬戸際にいて、どうしようもなくつらかった高校生の頃。

 

復学して学校に通っている。

サークルもそれなりに楽しんでいるし、友達だっている。

 

けれど。

あいかわらず向精神薬をのまなければ日常生活を送ることはできないし、夜は睡眠薬を飲んでもなお眠れない時がある。

どうしようもない焦燥感、不安にいきなり襲われ、立って居られなくなることもある。

授業中の途中退室なんて、何度したかわからない。

表向きは普通の大学生かもしれない。

でもその普通を演じるために、毎日何種類も薬をのんで、ひとりの時間に何度も涙し、眠れない夜が過ぎていくのをじっと耐えなくちゃいけない。

 

「みんなそうだよ」と人は言う。

「みんなつらいんだから」と。

 

そうなのだろうか。みんなこんなに死にたくて、みんなこんなにつらいんだろうか。

もしそうだとしたら、私はやっぱり怠けている、甘えているだけなのだろうか。

解らない。

普通の人、に擬態して、なんとかやっていればうまくまわっていくことはわかっている。

でもそんなことをしたら、私が壊れてしまうことを、私は知っている。

お久しぶりです。

 

先ほど復学手続きを済ませてきました。

4月から正式に復学することになります。

 

もし出来なかったら。

もしまた通えなくなったら。

友達ができなかったら。

 

不安は多々あります。

同級生と一緒に卒業したかったという思いも。

 

だけど自分が決めた道だから。

この1年は私にとって、絶対的に必要な1年だったから。

 

自分のペースで進んでいきます。

これから

これから、どう生きていけばいいのだろう。

これからどう生きていくのが正解なんだろう。

 

そんなことを考えている夜です。

 

考え事をしなければ済まない性分のようで。

気づいたときにはぼーっと何かを考えていて、たまに文字に起こしてみたり、

日々そんなことをしています。

 

 

これから1年(もないけど)、病気を治すことを第一に考えるけれど。

復学しても通えなかったら?

復学できなかったら?

 

 

私はどうなるんだろう。

せっかく入った大学。

せっかく入った学校。

 

入学式の翌朝、地元に逃げ帰ってきたから、授業1時間も受けてない。

 

復学できなかったらどうなるんだろう。

 

どうなるんだろう。

不安と焦りだけが募る。

今日は何も用事がなかったので、ゆっくりゆっくりと過ごしました。

 

私の1日は、遅起きから始まります。

大体お昼頃に起きてご飯を食べて、テレビをだらだら見て、ぼーっとして。

いろいろ考え事をしているうちに、午後6時を過ぎ、夕食の時間になるので夕食の準備をして食べて、それからお風呂。

お風呂から上がって、午後8時くらいから(気力があれば)問題集を1ページか2ページやって。

終わったらまただらだらして、11時過ぎに布団に入ります。

 

ただそこから不眠を発揮、午前3時とか4時とかまで眠れなくて格闘するのだけど。

 

 

今日はミュージックステーションに嵐とSEKAI NO OWARIが出演するとのことだったので、テレビの前でスタンバイ。

相変わらず私はこの人たちの音楽に元気をもらっているなあ、と再認識しました。

 

その後、気力があったのでツイキャス2枠。

今日は閲覧者数過去最高かと思うほどに多くて驚きです。

コメントをいただいて、やっぱり私は音楽が好きなんだと思ったり。

 

これからも、ギター弾いて、歌って。

それが少しでも多くの人に届いて、心の中にすっと溶けていくような。

そんな私でありたいと願うのです。

「なにもしない」をする

きっと私はもっとゆっくりじっくり「なにもしない」をするべきなのかもしれないなあ、なんてことを、ぼーっと考えていた。

 

最近急に電池が切れたように無気力になった。

何をするにも面倒に思える。

それは本当に面倒なこと(例えば部屋の掃除だったり、食事の支度だったり)に対してだけではなくて、好きなはずのものに対しても。

 

ギターだったり、読書だったり、そういう自分の趣味に対しても「楽しい」より先に「面倒」「苦しい」が来てしまう。

 

 

さて、原因は何かと首をひねった。

 

休学を決めてから、私の奥底に、親兄弟やちゃんと大学に行っている同級生等に対するうしろめたさがずっとある。

休学しているのだから、せめて何か有益なことをしなければと、検定の申し込みをしたり、大学受験の時の教材を引っ張り出して文字を追ったりしていた。

 

そんなこんなで気づけば「これ、1日のタスク」と自分に課す義務が大きくなりすぎていたのではないか。

 

 

ギターも読書も「やってて苦しいもの」にはしたくない。

とある行為、にはそれがどんなものであろうと、「適度な加減」があり、その調節が必要だ。

きっと今の私は、それが過剰になっている状態。

少しお休みをして(だって休学中なのだから)、ぼーっとするのもいいかもしれない。

 

…と、いいように解釈して、「やらない」を正当化しようとするのは、甘えにあたるのだろうか。