昨夜。

深夜1時を過ぎても眠れず、眠剤を1錠飲んだ。

久しぶりに飲んで錯乱状態に陥って、ダイエット中だというのに過食。

スナック菓子の大袋3袋、アイス、おせんべい…

 

気づいたときには周りに包装紙が散らばっていて、押し寄せた自責の念。

それだけならまだしも、あろうことか夜中に先生に電話を掛けてしまった。

高2の時の担任と、高3の時の担任。

深夜1時過ぎに、2度。

迷惑以外の何物でもない。

 

いくら眠剤を飲んで錯乱状態に陥っていたとは言え、許される行為ではない…

折り返しがかかってくるはずもなく、ひたすら後悔…

 

確かに昨夜の私はここ最近では1番と言っていいほど「堕ちていた」し、苦しかったけれど。

でも、もう担任でもない、ましてやすでに卒業した生徒から夜中に電話がかかってくるなんて。

申し訳ない気持ちでいっぱい。

 

精神状態も、IBSの症状も、休学直後と比べたら少しは落ち着いたかなって思ってたけど、全然そんなことはなかった。

いつになったらよくなるんだろう。

いつになったら普通に暮らせるのかな

 

 

これからが不安、だけど。

早速明日は「初めてのこと」が待っている。

バイトの研修。

 

頑張ろう…私でいいのかはわからないけど、採用されたのだから。

少しずつ、やっていけばいいよね。

普通に生きたい

最近、家にいるからIBSのほうは割と調子が良くて。

 

困っているのはパニック、そしてフラッシュバック。

今後のことを考えたり、高校時代のつらかった記憶を突然思い出したりして、息苦しさが襲ってくる。

どうしよう、どうしようと思っているうちにふらふらしてきて、必死に壁にもたれかかる。

そんなことの繰り返し。

何回経験してもなれない苦しさ。

 

急に涙があふれてきて止まらなくなったりもする。

特に夜。鬱々とした気分が続いてろくに眠れない日もある。

今日も眠れないから、こうしてパソコンに向かってキーを打っているのだけど。

 

 

何回同じ症状に襲われようが、何度「甘え」とののしられようが、つらいものはつらいし、慣れることはできない。

頭痛、吐気、倦怠感に始まり、下痢、微熱、ふらつき…

挙げればキリがないほどの不調。

毎日いくつも襲ってくるから、体調が万全な日なんてない。

 

なんで私なんだろう。

いつになればよくなるんだろう。

 

先の見えない不安。

「これから」がわからない恐怖。

 

きっと私は、これから先もそんなものと闘っていかなければならないのだろう。

 

 

 

「普通」に生きたい。

 

病気を発症して7年。

ずっと願ってきたこと。

 

毎日当たり前のように起きて。

「寝坊した~」とか言いながら通学路走って。

授業終わったら友達と遊んで、おいしいもの食べて。

 

普通のこと。

みんなやってる、当たり前のこと。

 

私だって7年前はそうだった。

その当たり前が、普通が、一瞬にして奪われるなんて考えもしなかったよ。

健康でいられること。それがどんなに幸せなことかなんて、これっぽっちも分からなかったよ。

 

 

でも今痛いほど感じる。

当たり前が当たり前じゃないってこと。

「普通」って難しいんだってこと。

 

 

そして。

「普通」には、もうどう頑張っても手が届かないであろうこと。

 

これから先ずっと、「みんな」がやってる「当たり前のこと」を、いくつも、いくつも諦めて、手放して、生きていかなきゃならない。

 

「病気なんだ」っていうとさ。

「自分は病気だって思うから悪くなるんだよ」とか、

「病気になったからこそ得たものだってあるよ」とか、言われるけれど。

 

病気じゃないなら、この苦しさは何。

病気になって得たものなんて苦しみしかないよ。

優しい心が持てるよ、なんて言われても信じられないほど、心まで歪んでしまったよ。

 

そんなこと言うなら。

変わってよ。

毎日私の不調を経験してみてよ。

 

ねえ。

できるでしょ。

 

 

今は

こんなひねくれた考え方しか、できないのです。

 

果て

一昨日、砂丘に行ってきた。

 

午前中友達とカラオケに行って、その流れで何となく(?)砂丘行こうか、という話になったのだ。

 

車で1時間。

そこで見たものはあまりに広くて、大きかった。

 

ずっと向こうのほうまで広がる海、海岸。

この世界に果てなんてないんだなあ、と思わせてくれるような。

 

圧倒されて、しばらく何も言えなかった。

ここまで雄大な景色がほかにあるか。

世の中のすべての事象を包み込んでくれるような寛容さを持った環境がほかにあるのか。

 

あるのかもしれない。少なくとも私は見たことがないけれど。

 

 

 

これからどんどん、夏に向かって暑くなって。

みんなは新しい環境に慣れ始めて、私独りおいていかれるような感覚は、強くなるはずだ。

でもそれは仕方のないことだし、私は休学せずにはいられなかった。

あの時1人暮らしの部屋から逃げ帰ったのは、正しい行動だった。

 

その事実に変わりはないのだ。

 

 

周囲と比べて、どうしようもなくつらくなったときは、あの砂丘の景色を思い浮かべよう。

屈折した感情さえ受け入れてくれそうな、あの景色を。

 

やりたいこと、やるべきこと。

高校はろくに通えず。

大学は休学し。

自動車学校に通い始めて2日で辞め。

 

今の自分、そうとうろくでもないやつだな、なんて思ったり。

 

 

高校時代の友達は、それぞれ自分の選んだ進路で頑張ってるのに、私は家で独り、携帯をいじってばかり。

なにもしていない自分嫌になるけれど。

 

自分で決めた道だから。

 

 

 

昨日(というよりおととい?)、3月まで通っていた病院に行ってきた。

また月1でカウンセリングに通うことに。

担当してくれるカウンセラーさんも変わらず。

 

「楽しいこととか、今までできなかったけどやりたかったこととか、たくさんやる1年にしよう」

って言われて。

 

「休学」って休むための期間なのに、なんとなく「思いっきり休む」のを躊躇していたけれど、なんだか吹っ切れた気がした。

せっかく休むんだから、やりたいことやろう。

楽しんだほうが、きっと精神状態にもいい影響が出てくるだろうし。

 

それでね、家に帰ってやりたいことを書き出してみたんだけれど。

意外と、少ない。

今思いつく「やりたいこと」

 

なんだろうな。

1番やりたいことはやっぱり「フォロワーさんと双子コーデしてディズニー」かな。

 

朝1番調子悪いからお昼頃からの出発になるだろうとか途中でパニック起こすかもとか、いろいろ心配があるから、今の時点では「行ける」って確信を持って言えないのが残念だけど…

 

復学するまでに実現させたい。

 

 

あとは、アルバイトかな。

やりたいこと、というよりやるべきこと、なんだけれど。

自動車学校のお金返すことと、自分のお小遣いを稼ぐことと。

目的はこの2つ。

今のところ、セブンイレブンか、家庭教師か。

どっちにも応募したから、今連絡待ち。

 

 

家にこもって不規則な生活してたら太るだろうから運動もしなきゃとか、新しく資格取ってみたいとか、検定にもチャレンジしようとか、いろいろ考えてはいるけれど。

 

あくまでも最優先は、症状の改善。

夜になるとあっかするうつ状態希死念慮

やっぱり完全には治らないIBSの症状。

いつ出るかわからないパニック発作

 

全部綺麗に治そうとは思ってないし、それは不可能に近いと思う。

でも少しでもよくなるように。

祈りながら、試行錯誤しながら。

 

毎日を生きよう

 

 

昔のこと。

昔、というほど昔ではないのだけれど。

 

休学を決めてから、高校時代のことをよく思い出す。

不登校だった中学時代、高校はいいところ(偏差値の高いところ)に行きたいと思って勉強して入った高校。

結果、IBSは悪化して、ほかの精神疾患も発症したし、学校にはあまり行けなかったのだけれど。

 

それでもあの学校じゃなくて、別の学校にすればよかったとか、こんな学校来るんじゃなかったとか、そういうことは1度も思ったことなくて。

むしろ、私にはもったいないくらい恵まれた環境に3年間いることができて、本当に幸せだったなあ、と思う。

 

 

学校には来ない、来たと思ったら授業ろくに出ないでトイレにいる。

テストは別室受験、集会の時は体育館の外にいる。

嫌味のひとつでも言われて当然の高校生活だったけれど、先生方はそんな私を責めないで、いつも寄り添ってくれて。

 

「あなたが楽になれる方法で学校生活を送ればいい。

あなたの生き方を僕は応援する」

高3の時の担任の先生が言ってくれた言葉。

 

「確かに欠席日数は多いけれど、だれもあなたのことさぼりだなんて思ってない。

すごく頑張ってるの、わかってるから」

高2の時の担任の先生が言ってた。

 

 

病気の症状は学年が上がるにつれて徐々に悪化して、特に受験期は本当につらくて、なんども高校を辞めたいと苦悩したはずなのに。

それなのに。

学校で尊敬できる先生や、大好きな友達にたくさん、たくさん出会えて。

 

戻りたいなあ、と思うのだ。

あの頃に、高校時代に戻りたい。

 

 

今、独りでいると思い出す。

 

 

 

あの頃に戻りたいなあ、と思って、高校時代に使ってたシャープペンを使って日記を書いたり、卒業アルバムを眺めたり。

そんなことしてもあの日々が戻ってこないことはわかっているのに。

分かっているはずなのに。

 

友達と一緒に笑っている、写真の中の私を見て、どうしても涙が止まらなくなる。

 

 

高校時代に戻りたい。

先生に会いたい。

友達に会いたい。

 

大好きだったな…

 

 

そんな思いがあふれて。

 

どうしようもなくつらくなるのだけれど、ある人の文章を読んでいてはっとしたことがある。

 

「ひとりになってさみしいと思えるほど、私は好きな人がたくさんいたのだ」

という一節。

 

 

 

簡単には会えないほど遠く離れた高校時代の友達、先生。

もう新しい生活を始めているけれど。

 

 

会いたい、って切実に思えるほど、大好きな人たちだったんだ。

3年間で、それほど大切な人、大切な思い出ができたってことなんだ。

 

 

 

この一節を読んで、そんなことを感じた。

今は、休学中って身で、自分に価値がないとか、自分は社会にとって不必要な人間だと感じているし、きっとこれからもその思いはあるのだろう。

 

でも、これだけ多くの人を、尊敬して、大切に思えたという事実。

そして、そんな自分のこと、を。

 

愛してあげようと少しだけ思えた。

 

隔絶

朝起きた瞬間からずっと付きまとう希死念慮IBSの症状。

身体が重く、思うように動かせないなかでどうにか大学に行って、休学手続きの続きをしてきた。

 

ひとりの部屋に帰ってきて、これまでのことをぼーっと思い返した。

中学1年でIBSを発症、高校入学と同時に悪化、そして高2の3学期、その他疾患の発症。

 

 

…もう7年目。

症状には波があり安定しない上に、「今日は調子がいい」と思える日がほとんど無い。

 

下痢を始めとして頭痛、吐き気、発熱。

不眠と過食、それに伴う体重増加。

加えてうつ状態に陥るとODを繰り返し健忘を起こす。

未だやめられないアームカット

突然襲ってくるパニック発作

貧血状態とそれによる氷食症

 

ざっと思いつくものを挙げただけでこんなに。

別に悲劇のヒロインになりたいわけではない。

 

けれど。

さまざまなシチュエーションで、「持病があるんだ」と説明せざるを得ない。

その時言われる「頑張って」

 

何を。

どう頑張れというのだ。

これ以上。

 

 

分かっている。

頑張れ、以外に何も言えないことは、わかっている。

自分も逆の立場だったらきっと、がんばれって言うしかない。

 

でも。

今の私は生きているのが精いっぱいで、「将来」とか「これから」とか、そんなことは考えられないし、今の私に将来なんて、ないも同然。

なんで生きてるんだろうとか、社会にはこんな人間必要ないよな、とか。

思うけれど。

 

 

 

足踏みばかり繰り返して、その先にたどり着けないのだ。

自分独りだけ世界から隔絶されて、取り残される。

そんな、どうしようもない孤独感に襲われるのだ。

 

この時間が好きだ。

夜、それも日付が変わるくらいの時間帯。

 

田舎ではもうみんな眠って、窓から周りの家を見てみても、電気のついている家などほとんどなくて。

そんな空間で独り、机の電気をつけてパソコンのキーを打ったり、ノートの罫線にそってペンを走らせたり。

横にひっそり、飲み物とお菓子も準備したりなんかして。

 

日常のさまざまな「音」から解放されて、ようやく1人になれた、そんな感覚に陥る。

調子の悪いときには思考が暗くなってしまって考え込む時間帯でもあるから、そこは困るところだけれど。

 

冬には窓を少しだけ開けて空を見上げると、オリオン座が輝いていたり、運がいいと流れ星を見つけたり。

 

 

静かに、しかし確実に更けていく「夜」の中で、わたしは思考を巡らせるのが好きだ。

この事象はどうしてこうなったんだろうとか、この事柄にたどり着くためにはどのような経路をたどるべきなのかとか、そういう答えの出ない問いを自分に投げかけてみる。

 

 

今こうしてキーを打ちながら考えているのは、「嫌い」について。

人間の(ある特定のものごとに対する)「嫌い」という感情は、どうしても「好き」や「うれしい」などのポジティブな感情よりもストレート、かつ誤解を生みやすい伝わり方をすることが多い。

 

それは仕方のないことかもしれないけれど。

「嫌い」の感情のモトを探れば、もう少しお互い傷つかない過ごし方ができるのではないだろうか。(傷つかない過ごし方というのが人間にとって正しい生き方なのかどうかという議論はここでは置いておいて)

 

「嫌い」という感情は、「自分の好みとは違う」という思いとイコールだと私は考える。

その物事、その現象が存在している以上、自分はそれが大嫌いであったとしても、それが大好きな人もいるのだ。

 

 

だから(もちろん思うときはいいのだが)口にする「嫌い」を「(これが好きな人もいるだろうけれど)私の好みではない」と言い換えてみれば、同じ感情を伝えるのであっても少しだけ表現が柔らかくなり、相手が受けるダメージも減るのではないか。

 

 

こんなことを思いながら、つくづく自分は日本人なのだなあと思う。

何がって、相手のことを想定して自分の感情をストレートに表現することをためらうという事実が。

こうやって相手の目を気にして、相手の受け取り方を気にして過ごしているが故に病気になったのなら、それはもう苦笑するしかないのだけれど。

 

嫌い、を好みじゃない、に変えてみる。

なかなかいいかも、知れない?