今日は何も用事がなかったので、ゆっくりゆっくりと過ごしました。

 

私の1日は、遅起きから始まります。

大体お昼頃に起きてご飯を食べて、テレビをだらだら見て、ぼーっとして。

いろいろ考え事をしているうちに、午後6時を過ぎ、夕食の時間になるので夕食の準備をして食べて、それからお風呂。

お風呂から上がって、午後8時くらいから(気力があれば)問題集を1ページか2ページやって。

終わったらまただらだらして、11時過ぎに布団に入ります。

 

ただそこから不眠を発揮、午前3時とか4時とかまで眠れなくて格闘するのだけど。

 

 

今日はミュージックステーションに嵐とSEKAI NO OWARIが出演するとのことだったので、テレビの前でスタンバイ。

相変わらず私はこの人たちの音楽に元気をもらっているなあ、と再認識しました。

 

その後、気力があったのでツイキャス2枠。

今日は閲覧者数過去最高かと思うほどに多くて驚きです。

コメントをいただいて、やっぱり私は音楽が好きなんだと思ったり。

 

これからも、ギター弾いて、歌って。

それが少しでも多くの人に届いて、心の中にすっと溶けていくような。

そんな私でありたいと願うのです。

「なにもしない」をする

きっと私はもっとゆっくりじっくり「なにもしない」をするべきなのかもしれないなあ、なんてことを、ぼーっと考えていた。

 

最近急に電池が切れたように無気力になった。

何をするにも面倒に思える。

それは本当に面倒なこと(例えば部屋の掃除だったり、食事の支度だったり)に対してだけではなくて、好きなはずのものに対しても。

 

ギターだったり、読書だったり、そういう自分の趣味に対しても「楽しい」より先に「面倒」「苦しい」が来てしまう。

 

 

さて、原因は何かと首をひねった。

 

休学を決めてから、私の奥底に、親兄弟やちゃんと大学に行っている同級生等に対するうしろめたさがずっとある。

休学しているのだから、せめて何か有益なことをしなければと、検定の申し込みをしたり、大学受験の時の教材を引っ張り出して文字を追ったりしていた。

 

そんなこんなで気づけば「これ、1日のタスク」と自分に課す義務が大きくなりすぎていたのではないか。

 

 

ギターも読書も「やってて苦しいもの」にはしたくない。

とある行為、にはそれがどんなものであろうと、「適度な加減」があり、その調節が必要だ。

きっと今の私は、それが過剰になっている状態。

少しお休みをして(だって休学中なのだから)、ぼーっとするのもいいかもしれない。

 

…と、いいように解釈して、「やらない」を正当化しようとするのは、甘えにあたるのだろうか。

がんばったね

夜中。

 

まったく眠れなくて、こうしてキーをたたいています。

頭がぼうっとして、もやがかかったみたいで。

なにかをやろうとしても、まったく気力が湧かないのです。

 

ギターを弾いても、ひとりでカラオケに行って、思い切り歌っても。

大好きな嵐のDVDを見ても、好きな曲を聴いても、楽しいと思えないのです。

 

高校の友達は、みんないい大学に行きました。

彼女たちに会うと、キラキラ輝いているのです。

「全身で、生きている」って、感じがするのです。

 

それに比べて私は。

高校時代も、後半をほとんど寝て過ごして、満足に受験勉強ができませんでした。

今在籍している大学を受験したこと、そして合格したこと。

これらには後悔していないし、むしろこんな私を合格させてくれたことに感謝しています。

 

でも、あの時もう少し勉強していたら。

あの日学校に行っていたら。

あの朝体調がよかったら。

 

もっといいところに行けたはずなのに。

なんで。

なんで。

 

どうして私は。

 

どうしてもっと頑張らなかったんだろう。

しんどい、なんて弱音吐く暇があったら、勉強すればよかった。

 

寝てばかりだったあの当時の私に、腹が立って仕方ないのです。

…当時はあの勉強量が、わたしの精いっぱいだったはずなのに。

 

 

十分がんばったと思ってました。

病気抱えながらよくやったと思ってました。

 

確かに頑張ったとは思います。

でも、それを素直に認められないのです。

 

 

誰かに「がんばったね」って言われたい

「よくやったね」って抱きしめてほしい

「つらかったね」って。

一緒に泣いてほしいのです。

褒められたい。

認めてほしい。

 

 

 

感情の思うままにキーを打ちます

なにもしない

気力がない、と書くと、「休学してて1日ゆったり過ごしてるやつが何を言う」と笑われるだろうか。

 

気力がないのだ。

1日1つのタスクをこなすだけで、どうしようもなく疲れ果ててしまう。

 

 

高校の時、まるで今すぐにでもガソリンがなくなりそうな車みたいな状態で毎日を過ごしていた。

大学受験を終えた途端にガソリンのタンクは空になり、動けなくなった。

学校が始まってわずか3日。

大学から、下宿先から、逃げるようにして実家に帰り休学を決めた。

 

今は、ゆっくりと、ゆっくりとガソリンを注入している時期。

 

 

焦ってはいけないと、わかってはいる。

分かってはいるのだけれど。

どうしても焦ってしまうのだ。

 

早くバイト始めなきゃ。

学力が落ちないように勉強もしなきゃ。

 

そう思って、アルバイトに応募して研修に行ったり、検定の勉強をしたりしている。

「休学」しているはずなのに、なんだか余り休めていない気がする。

 

自分で決めたこと、と言われればそれまでなのだけれど。

休養に専念する、って決めてしまえば楽なのかもしれないけれど、休み方がわからない。

気力がない、疲れたという感情はあるのに、それに対処するためにどういう行動をとればいいかが分からない。

 

「何もしない」が下手なのだと思う。

 

「何もしない」

どうしたら出来るようになるのだろう。

わからない、わからない…

 

最近のわたしの、1番の悩みのタネだ。

昨夜。

深夜1時を過ぎても眠れず、眠剤を1錠飲んだ。

久しぶりに飲んで錯乱状態に陥って、ダイエット中だというのに過食。

スナック菓子の大袋3袋、アイス、おせんべい…

 

気づいたときには周りに包装紙が散らばっていて、押し寄せた自責の念。

それだけならまだしも、あろうことか夜中に先生に電話を掛けてしまった。

高2の時の担任と、高3の時の担任。

深夜1時過ぎに、2度。

迷惑以外の何物でもない。

 

いくら眠剤を飲んで錯乱状態に陥っていたとは言え、許される行為ではない…

折り返しがかかってくるはずもなく、ひたすら後悔…

 

確かに昨夜の私はここ最近では1番と言っていいほど「堕ちていた」し、苦しかったけれど。

でも、もう担任でもない、ましてやすでに卒業した生徒から夜中に電話がかかってくるなんて。

申し訳ない気持ちでいっぱい。

 

精神状態も、IBSの症状も、休学直後と比べたら少しは落ち着いたかなって思ってたけど、全然そんなことはなかった。

いつになったらよくなるんだろう。

いつになったら普通に暮らせるのかな

 

 

これからが不安、だけど。

早速明日は「初めてのこと」が待っている。

バイトの研修。

 

頑張ろう…私でいいのかはわからないけど、採用されたのだから。

少しずつ、やっていけばいいよね。

普通に生きたい

最近、家にいるからIBSのほうは割と調子が良くて。

 

困っているのはパニック、そしてフラッシュバック。

今後のことを考えたり、高校時代のつらかった記憶を突然思い出したりして、息苦しさが襲ってくる。

どうしよう、どうしようと思っているうちにふらふらしてきて、必死に壁にもたれかかる。

そんなことの繰り返し。

何回経験してもなれない苦しさ。

 

急に涙があふれてきて止まらなくなったりもする。

特に夜。鬱々とした気分が続いてろくに眠れない日もある。

今日も眠れないから、こうしてパソコンに向かってキーを打っているのだけど。

 

 

何回同じ症状に襲われようが、何度「甘え」とののしられようが、つらいものはつらいし、慣れることはできない。

頭痛、吐気、倦怠感に始まり、下痢、微熱、ふらつき…

挙げればキリがないほどの不調。

毎日いくつも襲ってくるから、体調が万全な日なんてない。

 

なんで私なんだろう。

いつになればよくなるんだろう。

 

先の見えない不安。

「これから」がわからない恐怖。

 

きっと私は、これから先もそんなものと闘っていかなければならないのだろう。

 

 

 

「普通」に生きたい。

 

病気を発症して7年。

ずっと願ってきたこと。

 

毎日当たり前のように起きて。

「寝坊した~」とか言いながら通学路走って。

授業終わったら友達と遊んで、おいしいもの食べて。

 

普通のこと。

みんなやってる、当たり前のこと。

 

私だって7年前はそうだった。

その当たり前が、普通が、一瞬にして奪われるなんて考えもしなかったよ。

健康でいられること。それがどんなに幸せなことかなんて、これっぽっちも分からなかったよ。

 

 

でも今痛いほど感じる。

当たり前が当たり前じゃないってこと。

「普通」って難しいんだってこと。

 

 

そして。

「普通」には、もうどう頑張っても手が届かないであろうこと。

 

これから先ずっと、「みんな」がやってる「当たり前のこと」を、いくつも、いくつも諦めて、手放して、生きていかなきゃならない。

 

「病気なんだ」っていうとさ。

「自分は病気だって思うから悪くなるんだよ」とか、

「病気になったからこそ得たものだってあるよ」とか、言われるけれど。

 

病気じゃないなら、この苦しさは何。

病気になって得たものなんて苦しみしかないよ。

優しい心が持てるよ、なんて言われても信じられないほど、心まで歪んでしまったよ。

 

そんなこと言うなら。

変わってよ。

毎日私の不調を経験してみてよ。

 

ねえ。

できるでしょ。

 

 

今は

こんなひねくれた考え方しか、できないのです。

 

果て

一昨日、砂丘に行ってきた。

 

午前中友達とカラオケに行って、その流れで何となく(?)砂丘行こうか、という話になったのだ。

 

車で1時間。

そこで見たものはあまりに広くて、大きかった。

 

ずっと向こうのほうまで広がる海、海岸。

この世界に果てなんてないんだなあ、と思わせてくれるような。

 

圧倒されて、しばらく何も言えなかった。

ここまで雄大な景色がほかにあるか。

世の中のすべての事象を包み込んでくれるような寛容さを持った環境がほかにあるのか。

 

あるのかもしれない。少なくとも私は見たことがないけれど。

 

 

 

これからどんどん、夏に向かって暑くなって。

みんなは新しい環境に慣れ始めて、私独りおいていかれるような感覚は、強くなるはずだ。

でもそれは仕方のないことだし、私は休学せずにはいられなかった。

あの時1人暮らしの部屋から逃げ帰ったのは、正しい行動だった。

 

その事実に変わりはないのだ。

 

 

周囲と比べて、どうしようもなくつらくなったときは、あの砂丘の景色を思い浮かべよう。

屈折した感情さえ受け入れてくれそうな、あの景色を。