「なにもしない」をする
きっと私はもっとゆっくりじっくり「なにもしない」をするべきなのかもしれないなあ、なんてことを、ぼーっと考えていた。
最近急に電池が切れたように無気力になった。
何をするにも面倒に思える。
それは本当に面倒なこと(例えば部屋の掃除だったり、食事の支度だったり)に対してだけではなくて、好きなはずのものに対しても。
ギターだったり、読書だったり、そういう自分の趣味に対しても「楽しい」より先に「面倒」「苦しい」が来てしまう。
さて、原因は何かと首をひねった。
休学を決めてから、私の奥底に、親兄弟やちゃんと大学に行っている同級生等に対するうしろめたさがずっとある。
休学しているのだから、せめて何か有益なことをしなければと、検定の申し込みをしたり、大学受験の時の教材を引っ張り出して文字を追ったりしていた。
そんなこんなで気づけば「これ、1日のタスク」と自分に課す義務が大きくなりすぎていたのではないか。
ギターも読書も「やってて苦しいもの」にはしたくない。
とある行為、にはそれがどんなものであろうと、「適度な加減」があり、その調節が必要だ。
きっと今の私は、それが過剰になっている状態。
少しお休みをして(だって休学中なのだから)、ぼーっとするのもいいかもしれない。
…と、いいように解釈して、「やらない」を正当化しようとするのは、甘えにあたるのだろうか。