隔絶
身体が重く、思うように動かせないなかでどうにか大学に行って、休学手続きの続きをしてきた。
ひとりの部屋に帰ってきて、これまでのことをぼーっと思い返した。
中学1年でIBSを発症、高校入学と同時に悪化、そして高2の3学期、その他疾患の発症。
…もう7年目。
症状には波があり安定しない上に、「今日は調子がいい」と思える日がほとんど無い。
下痢を始めとして頭痛、吐き気、発熱。
不眠と過食、それに伴う体重増加。
加えてうつ状態に陥るとODを繰り返し健忘を起こす。
未だやめられないアームカット。
突然襲ってくるパニック発作。
貧血状態とそれによる氷食症。
ざっと思いつくものを挙げただけでこんなに。
別に悲劇のヒロインになりたいわけではない。
けれど。
さまざまなシチュエーションで、「持病があるんだ」と説明せざるを得ない。
その時言われる「頑張って」
何を。
どう頑張れというのだ。
これ以上。
分かっている。
頑張れ、以外に何も言えないことは、わかっている。
自分も逆の立場だったらきっと、がんばれって言うしかない。
でも。
今の私は生きているのが精いっぱいで、「将来」とか「これから」とか、そんなことは考えられないし、今の私に将来なんて、ないも同然。
なんで生きてるんだろうとか、社会にはこんな人間必要ないよな、とか。
思うけれど。
足踏みばかり繰り返して、その先にたどり着けないのだ。
自分独りだけ世界から隔絶されて、取り残される。
そんな、どうしようもない孤独感に襲われるのだ。
夜
この時間が好きだ。
夜、それも日付が変わるくらいの時間帯。
田舎ではもうみんな眠って、窓から周りの家を見てみても、電気のついている家などほとんどなくて。
そんな空間で独り、机の電気をつけてパソコンのキーを打ったり、ノートの罫線にそってペンを走らせたり。
横にひっそり、飲み物とお菓子も準備したりなんかして。
日常のさまざまな「音」から解放されて、ようやく1人になれた、そんな感覚に陥る。
調子の悪いときには思考が暗くなってしまって考え込む時間帯でもあるから、そこは困るところだけれど。
冬には窓を少しだけ開けて空を見上げると、オリオン座が輝いていたり、運がいいと流れ星を見つけたり。
静かに、しかし確実に更けていく「夜」の中で、わたしは思考を巡らせるのが好きだ。
この事象はどうしてこうなったんだろうとか、この事柄にたどり着くためにはどのような経路をたどるべきなのかとか、そういう答えの出ない問いを自分に投げかけてみる。
今こうしてキーを打ちながら考えているのは、「嫌い」について。
人間の(ある特定のものごとに対する)「嫌い」という感情は、どうしても「好き」や「うれしい」などのポジティブな感情よりもストレート、かつ誤解を生みやすい伝わり方をすることが多い。
それは仕方のないことかもしれないけれど。
「嫌い」の感情のモトを探れば、もう少しお互い傷つかない過ごし方ができるのではないだろうか。(傷つかない過ごし方というのが人間にとって正しい生き方なのかどうかという議論はここでは置いておいて)
「嫌い」という感情は、「自分の好みとは違う」という思いとイコールだと私は考える。
その物事、その現象が存在している以上、自分はそれが大嫌いであったとしても、それが大好きな人もいるのだ。
だから(もちろん思うときはいいのだが)口にする「嫌い」を「(これが好きな人もいるだろうけれど)私の好みではない」と言い換えてみれば、同じ感情を伝えるのであっても少しだけ表現が柔らかくなり、相手が受けるダメージも減るのではないか。
こんなことを思いながら、つくづく自分は日本人なのだなあと思う。
何がって、相手のことを想定して自分の感情をストレートに表現することをためらうという事実が。
こうやって相手の目を気にして、相手の受け取り方を気にして過ごしているが故に病気になったのなら、それはもう苦笑するしかないのだけれど。
嫌い、を好みじゃない、に変えてみる。
なかなかいいかも、知れない?
これからのこと
休学手続きをしに大学のある地域に明日行くことになっている。
きっと4月中には手続きを終えられるだろう。
この1年、どう過ごそうかおおまかにでいいから考えておかないと…
ひとまず5月中に運転免許を取って、6月上旬にはバイトを始めたいな。
浪人した、っていう体で憧れの私大を受けるかどうかは、まだわからない。
でも受けることが決まったらそこから焦らなくていいように、勉強は進めていこう…
現役の時の勉強量が信じられないくらい集中力が落ちていて、今は5分勉強するのも難しい。
私立文系で3科目しかいらないとは言っても、今在籍している大学のセンター試験ボーダーの点数を取るよりも、かなり上のレベルの学力が要求される。
もし入れたら研究したいこと。
第2次世界大戦のこと。
文学部、史学科。
偏差値70。
夢のまま、憧れのままでは終わらせたくない。
合格したいし、行きたい。
ただ、ネックになるのは就職のこと。
今の大学に復学して卒業するなら、将来の職業は養護教諭一択。
教員採用試験を受けて合格、採用されればいい。
限定されているから、いわゆる就職活動をしなくていい。
でももし私大に行くとなると、就活は必須。
病気が悪化するのは目に見えている。
教育学部を選んだ理由として「教員として働きたい」というのともう一つ、「将来がある程度限定されている」というのもあって。
就職活動をしなくていい(教採を受けて合格すればいい)から選んだのに。
しかもせっかく国立に受かったのに。それを捨てるのか…?
今在籍している大学より、憧れの私大のほうが、偏差値はずっと高い。
それでも、そこは「国立合格」というある種の成功体験と、私立とは比べ物にならないほどの学費の安さを捨ててまで行くところなのか?
私が受かったせいで今の大学に落ちた人だっているのに。
どうする?どうすればいい?
わからない。まったくもって分からない。
歴史の勉強を学問として正式にやるならば、私大を再受験すべきだろう。
ただ、今はある程度の知識は、本を読めば入ってくる。
その点養護教諭になるための勉強を独学でするのは、少々無理があるといえる。
「あの大学を受けたい」
私のこの気持ち、実は「あの大学に受かったって言ったらみんなから賞賛されるだろう」っていう思いから来ていないか?
私の中にある、強すぎる承認欲求に由来しているのではないか。
きっとそうだろう。
でも承認欲求を満たすための受験が間違っていると断言することはできないと思う。
分からない。
分からない。
今の大学に復学するべきなのか。
復学したとして、1つ下の子とうまくやっていけるのか。
病気は治るのか。
私大を再受験するのか。
その場合就職活動はどうするのか。
分からない。
今の私ではなにもわからない。
ならば今の私にすべきことは、どちらの選択肢を選ぶか延々と悩むことではなく、どっちの選択肢を選んでも対応できるように準備をすることではないか。
そうと決めたら動こう。
この1年でやることリスト。
まずは運転免許の取得、そしてバイト。
漢検、英検の取得。
TOEICの受験。
第2外国語の授業に対応できるように、ドイツ語と韓国語の勉強。
受験すると決めたとき焦らないように、日本史、英語、国語の勉強。
現役の時過去問を始めるのが遅すぎたから、9月には赤本を解き始めよう。
模試は受けなくていい。
2月の受験までに学力が達して、受験できる体調だったら受ければいい。
落ちたり、受けれなかったりしたら、覚悟を決めて復学しよう。
それでいい。
休むための「休学」なんだから。
1年間を自分なりに有意義に活用できたら、それだけできっとハナマルだ。